自分しかできないアウトローな酒で文化を作る
課題 売り上げの大半を占める一社のOEMからの脱却
その背景 営業不振と大口OEM先の売り上げ減少
地域資源 但馬地域の有機農家と造る完全手作りの酒
着目点 蔵元自らつくるこだわりの酒と、蔵元のアウトロー好きなアイデンティティ
解決方法 本物の手作りの酒を今の食卓に並ぶ、誰もやらないデザイン
地元・但馬の自然と手仕事を活かし、アウトローな美学を宿した酒造りを貫く銀海酒造。自らの酒を自分らしく売ることに悩みを抱えながらも、独自の感性とこだわりを信じ、SASIと共に「ライフスタイルを提案する酒蔵」への挑戦を始めた。前例のないボトルデザインと、自分の言葉で語る営業スタイルが功を奏し、OEM依存からの脱却を実現。利益は3倍に増加し、今では地域の米と水で醸した“誰かの人生に寄り添う酒”を、日本中へ、自信を持って届けている。
自分の酒を、自分らしく売れない─ 課題と背景
銀海酒造は1897年創業、兵庫県・養父市関宮で長く地元に愛されてきた小さな蔵元。OEM先である地元企業との取引で年商の約7割を支えていたが、取引先の売上減少とともに銀海酒造の経営も厳しくなっていった。発酵不良などのトラブルも重なり、杜氏への不信から自ら酒造りを学ぶようになった5代目・安木淳一郎氏は、“納得のいく酒”を目指して製造に取り組んでいた。
一方で、営業活動には課題を抱えていた。酒店への営業に行くと「これじゃあかん」と言われて嫌になって帰ってきてしまうと本人も語っており、自分で造った酒をどう届ければいいのかがわからなかった。
OEM頼みの経営構造から脱却し、自社商品の販売に取り組みたいと考えていたが、営業には苦手意識があり、うまくいっていなかった。そうした悩みを抱えた状態で、SASIとの対話が始まった。
「この酒をどう楽しんでほしい?」から見えたもの─ アイデンティティの発見
SASIとの対話が始まってからも、酒造りの話題になるまでは、安木氏の口数は少なかった。販売計画や会社としての理念を尋ねても、思うように言葉が出てこなかったという。しかし、一度酒造りの話になると、発酵、水、米、神話に至るまで熱量をもって語りはじめた。自らが酒を作っているという楽しさとプライドがそこにあるからだと確信した。
「良い酒を造っている」という自負と、その背景にある自然や土地への深い理解は伝わってきた。ただ、全国には“良い酒”は山ほどある。「こだわりの酒」として紹介しても、他と差別化するのは難しいと感じていた。
そんな中、「自分の酒をどう飲んでほしいか?」という問いに対して、「ブルーチーズと一緒に飲むと合う」「ニール・ヤングのしみったれた感じの曲に合う」と、酒の味覚ではなく、“飲む時間”や“世界観”で語る安木氏の言葉が印象に残った。
酒造りの話ではなく、「この酒をどんなふうに楽しんでもらいたいか?」という問いに切り替えることで、安木氏が本当に伝えたいことが見えはじめた。日本酒の枠を超え、食、音楽、文化といったライフスタイルの中で届けていく。それが、銀海酒造らしいあり方なのではないかと感じ始めた。
「自分はもともとアウトロー」──誰もやらない形に振り切る─ ブランド構築とデザインの意図
「自分はもともとアウトローが好きだから」と語っていた安木氏は、服や音楽、落語、小説など、さまざまな文化に関心を持っていた。日本酒の話から離れ、好きなものやライフスタイルの話をしているときのほうが、表情が豊かで言葉も出てくる。そうした一連の対話をもとに、あえて従来の日本酒らしさからはみ出した提案を行った。
それは、氷ノ山の山並みを配したラベルと、土地に根付く桂の木を模した、ずんぐりむっくりの薬瓶のようなボトルデザインだった。日本酒ともワインとも似つかないこの案に、安木氏は第一声で「ありえへん!」と笑いながら言ったあと、「こんなありえへんデザインの日本酒、誰もやらへん。だからやりたい」と返した。
この提案を機に、「これが俺の日本酒だ」という意識が安木氏の中に芽生えはじめた。ボトルが決まり、商品名は「稜線」、シリーズ名は「KATSURA」に決定。営業にも変化が現れ、「話が通じない相手はこちらから断って帰ってくる」と言うほど、自信を持って商品を語るようになった。デザインをきっかけに、酒の価値だけでなく、自分自身の立ち位置もはっきりしていった。
分かってくれる人に届く酒になった─ プロジェクトの影響
商品が完成し、いよいよ発売というタイミングで、売上の約6割を占めていたOEMの取引が半減する事態が起きた。売上全体の3割が一気に失われる状況だったが、安木氏はすでに腹をくくっていた。地元・城崎温泉での販売を皮切りに、大阪・神戸・東京と販路を広げ、「面白い酒がある」と話題が広がった。中国の高級ホテルのバーでも取り扱いが始まり、販路と利益率の両面で成果が現れた。
「城崎で販売したら若い女の子が立ち止まって買ってくれてん。3日で20万円も売れたで!」と、販売初日の様子を安木氏は興奮気味に語っていた。利益面でも大きな変化があり、OEM依存からの転換を図った初年度、前年比で利益が約3倍に増加した。
売上だけでなく、「分かってくれる人に届ける」という軸が定まり、営業スタイルも大きく変化した。その後、酒蔵には安木氏の趣味を反映したモダンな空間が設けられ、来訪者と直販でつながる場ができた。主力だったOEM先は2017年に破産したが、地元農家の米と地元の水を使った“自分の酒”を、これからもまだ出会っていない誰かに届けたいという姿勢は変わっていない。
クライアントの声
弊社は私と妻とアルバイト2名の本当に小さな酒蔵です。自社の商品デザインは妻が担当しており、近藤氏と出会うまでは素人ながら少し自信がありました。ただ近藤氏とミーティングを重ねるうちに、自分たちのデザインに対する世界観が非常に狭いものであると感じました。近藤氏のデザインは、徹底した会話の中で自分達が本当にしたかったことを気づかさせてくれたと考えています。








